最高裁判所第三小法廷 平成8年(行ツ)154号 判決 1996年9月24日
大阪府四條畷市中野本町六番二九号
上告人
松村榮子
右訴訟代理人弁護士
黒瀬英昭
水田利裕
小杉茂雄
市瀬義文
大阪府門真市殿島町八番一二号
被上告人
門真税務署長 德岡襄
右当事者間の大阪高等裁判所平成七年(行コ)第五〇号所得税更正処分取消請求事件について、同裁判所が平成八年三月二二日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人黒瀬英昭、同水田利裕、同小杉茂雄、同市瀬義文の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はなく、右違法のあることを前提とする所論違憲の主張も失当である。論旨は、独自の見解に立って、又は原判決を正解せずにこれを非難するものであって、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 園部逸夫 裁判官 可部恒雄 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)
(平成七年(行ツ)第一五四号 上告人 松村榮子)
上告代理人黒瀬英昭、同水田利裕、同小杉茂雄、同市瀬義文の上告理由
第一点 上告人は、原審において、
『(一) 被控訴人は、被相続人富三の相続税に関し、控訴人が相続により取得したのは、本件各土地でなく、被相続人富三が川鉄商事と契約した本件土地の売買残代金の請求権であるとしているのに、その後、控訴人が、当該土地を処分したとして譲渡所得税を課税するのは不当である。
(二) 右が不当でないとするも、被控訴人は、すくなくとも売買残代金の請求権を相続したと認定したのであるから、譲渡所得の計算に当たり、控除を受けられるべき「取得費に加算される相続税額」が、売買残代金より低額の土地を相続した場合と同じ金額であるのは不当である。
(三) この相続税額について、被控訴人は、被相続人富三の相続税に関する更正処分取消訴訟において(大阪地方裁判所平成七年(行ウ)第二六号事件・以下「別件訴訟」という。)、控訴人が納付すべき相続税額は金九二八〇万六八〇〇円と主張しているのであるから、本件において取得費に加算される相続税額は右金額を基礎として算出するべきである。』
との主張をしているが、
これに対して、原審では、
『甲第八号証、乙第一六、一七号証及び弁論の全趣旨によれば、被相続人富三からの相続による控訴人の相続税については、被控訴人より更正処分等がなされ、これについて、控訴人が異議の申立をし、平成四年一二月七日に一部修正する決定がなされたこと、被控訴人は、別件訴訟において、控訴人の本件土地の評価を、被相続人富三が川鉄商事との売買残代金額とした上、課税価格を離作補償金を控除した四億九六二二万二五五〇円とし、相続により取得した財産の価格(債務控除前)を一九億七三四一万一〇三九円であり、その相続税額が九二八〇万六八〇〇円となる旨の主張をしていること、右主張は、別件訴訟における相続税の更正処分等(但し、異議決定により修正された額)を超える金額が生じていることを主張立証するためになされたものにすぎないこと、相続税について、修正申告書の提出、異議申立に係る決定、審査請求に対する裁決又は判決により、相続税額に異動が生じた場合には、当該異動後の相続税額を基礎として、取得費に加算される金額の再計算を行なうべきこととなっていること、別件訴訟の相続税額に異動があったことから、本件における「取得費に加算される相続税額」は、右異議決定により確定している金額である二、四五四万八八〇〇円を基礎として計算を行なっているものであること、以上の事実が認められる。
右事実によれば、当審における控訴人の主張(一)は、その前提を欠くから主張自体失当であるし、同(二)(三)も、いずれも理由がない。』
と判示している。
しかし、平成四年一二月七日付異議決定により上告人の納付すべき税額が二四五四万八八〇〇円となっているものであるとしても、本件における「取得費に加算される相続税額」は右納付すべき税額に本件各土地に関する旧耕作権部分を除いた相続税評価額が上告人が取得した財産の課税価格に占める割合を乗じたものにより計算されるものである。
つまり、本件の場合、納付すべき税額が二四五四万八八〇〇円であったとしても被上告人の主張によれば、本件土地に関する評価はその売買残代金の評価と同価値としているものであるから、二四五四万八八〇〇円に対して上告人が取得した財産の額の中に占める本件土地の価格(当然その際の評価は右売買残代金と同額となるはずである)の割合により計算されるべきはずであるが、原判決では、この点について、何ら触れられることなく被上告人の主張を認め、本件土地について通常の相続税評価額(一億六七七二万七九七四円)を基準に計算し、上告人の主張を排斥している。
よって、原判決には、理由齟齬、又は理由不備があるものである(民事訴訟法第三九五条一項六号)。
第二点 原判決が引用する一審判決によれば、
『所得税法第三六条一項によれば、その年分の各種所得の金額の計算上収入金額とすべき金額は、その年において収入すべき金額とされているところ、譲渡者による資産の引渡しがあれば、通常、所有権も移転しているものと考えられ、かつ、譲渡者が資産を引き渡した時には、相手方に対してその譲渡代金を請求できることが確定的となり、譲渡代金相当額を収入すべき金額として認識し得る状態となったものとみることができるから、譲渡所得の総収入金額の収入すべき時期は、原則として、その所得の起因となる資産の引渡しがあった日によるものと解するのが相当である(基本通達三六-一二参照)』。
としている。
これによれば、対象物件ついて「引き渡し」があった時に譲渡所得の収入すべき時期があるものとなるが、右判示によれば「引き渡し」は、所有権等法律的な概念ではなく、対象物の実際の引渡し(実際に対象物件を把持するようになる行為)を指すことになるはずである。そのような行為であるから所有権の移転という法律効果があると考えられ、かつ、譲渡代金が確定的となるはずであり、原判決の説示は、このような意味としかとれないものである。
しかし、原判決においては、このような現実の対象物件についての把持行為については、認定しないまま主として契約書の文言解釈によって「引渡し」について判断しており、かつ現実の把持行為である筆界確認の行為や、草刈りなどの管理行為については関連がないものとし、かつ、原判決では、『仮に右(草刈りをするなどして管理をしてきた)程度の行為があったとしても‥‥引き渡したとの前記認定を左右するものとは言えない』としており、上告人側で現実の把持行為をしているのに、その点について考慮することなく、本件物件はすでに引き渡しがなされていると判示しており、この点について説明がなされていない。
従って原判決はこの点についても、理由不備、理由齟齬があるのである(民事訴訟法第三九五条一項六号)。
第三点 仮に第二点の「引渡し」について、上告人の主張する現実の把持行為ではなく、もっと広い概念とするならば(もし、前記第二点について理由不備でないとするならば、原判決では「引渡し」概念を広くとらえているとしか言いようがない)、「引渡し」の概念は極めて広がり、自由に課税年度が定められる恣意的な課税を許すこととなるものである。そうすると、基本通達(三六-一二)は租税法律主義を定めた憲法第八四条に反するものである。
すなわち、所得税法第三六条一項によれば、その年分の各種所得の金額の計算上収入金額とすべき金額は、「その年において、収入すべき金額」と規定されているものであるのに、基本通達により、現実の把持行為を前提としない「引渡し」という極めて広い(あいまいなといってよい)概念を持込むことによって、課税年度について、事実上法律によらず定めることとなるのであり、基本通達は憲法第八四条に違反するのである。
この点について、少し敷衍すると、
いうまでもなく、通達は、直ちに納税義務者に対して法規として拘束力をもつものではないけれども、実際上は、通達に示された解釈に従って行政の運用がなされている。他面、租税法律主義の原則は、当然に、法条の厳格解釈を要求するものではなく、法律上の概念又は用語は、それぞれの法律の規定の趣旨・目的にそうよう合目的的に解釈すべきであるが、特定の概念又は用語に伴う予測可能性の限界を超える拡張解釈が許されるべきものではない、とされている(田中二郎・租税法〔第三版〕八四頁、八五頁)。すなわち、本件の場合、現実の把持行為を前提としない「引渡し」を認めるならば、それは、納税義務者の理解する「引渡し」概念の予測可能性の限界を超えるものとなってしまうものであるからである。
裁判例も、右の考え方、趣旨を認めている。
国民健康保険税条例中の課税要件を定めた規定が一義的明確を欠き租税法定主義に反し違憲無効とされた事例である秋田地判昭和五四年四月二七日判例時報九二六号二〇頁は、「そして課税要件は、租税法律主義の原則の目的が課税権者の恣意的な課税を排し、国民の財産権が不当に侵害されることを防止するとともに、国民の経済生活に法的安定性と予測可能性を与えるにあることに鑑み、その税額を予測することができ、不当または違法な課税処分に対し、行政上の不服申立、訴の提起をなすべきか否かについて合理的な判断を可能ならしめる程度に一義的かつ明確に規定されていることが要請される。」と判示している。
従って、右基本通達に従った原判決も破棄されるべきものである。
第四点 原判決では、『本件契約書中には、・・<2>売主は買主に対し、手付金、前渡金の全額を返還するとともに、手付金と同額を支払うときは、残代金の授受が行われるまでは、本件契約を解約することができる(第一〇条)旨の定めがあるけれども‥‥右<2>の手付金倍額償還による解約の定めは所有権移転の時期に関係なく右金員を支払ったときは、本件契約を解約できるとする特別の合意にすぎないから、本件各土地の移転登記がされたのが、原告が主張するような担保目的によるものとは到底認められない』
と判示している。
しかし、本件契約書第一〇条の規定は被上告人においても一般的な手付解約であると主張しているのである(被上告人の平成七年七月二〇日付準備書面一四頁)。一般的な解約手付であるとするならば、相手方の履行の着手があるまでは解約できるものであり(民法五五七条)、本件の場合残代金の決済がなされる時に、はじめて履行の着手がなされることが、前提となっているものである。
すなわち、引渡しは、残代金の決済がされる平成三年三月の段階でなされるからこそ、買主側からもこの時期までは、手付放棄により本件契約を解約できるのである。
原判決では、契約書第一〇条の規定について、訴訟当事者間では、解約手付であることが争いのない事実であるのにもかかわらず、意味不明の「特別な合意」にすぎないものと判示している。
契約書第一〇条の規定がなぜ、手付解約ではない、「特別な合意」であるのか、そもそも原判決のいう「特別な合意」とはどのような内容の合意なのか。解約手付の合意とどこが違うのか。何等説明がなされていないのである。契約書第一〇条は、表題に(手付解約)と記載されているものであり、また、手付解約の約定であることは当事者間に争いのない事実であるのにもかかわらず、それをまったく無視して、その内容の不明確なる「特別の合意」と判断しているものである。また、手付解約の規定でないとするならばその根拠がなければならないはずである。
原判決にはこの点何等の説明がなされておらず、理由不備・理由齟齬(民事訴訟法第三九五条一項六号)があるものである。
以上